『努力』…努力していると思った時点で負け

僕は

「努力しよう」

「頑張ろう」

という表現はあまり使わない。

 

「有意義な毎日を…」

「笑顔で過ごせる毎日を…」

「さらなる飛躍を…」

このような言葉を代用している。

 

何かに行き詰っていて方法がわからない、何をしたらどうなるかわからないから悩み苦しむ。

 

そんな人に

「頑張って努力したら良い結果が出るよ」

というのは完全に言葉を間違えている。

 

相手の状況が見えない上、方法がわからない人に「努力」や「頑張れ」という抽象的な言葉はトドメを刺しているのと同じだ。

相手の立場になって考え、自分のモノサシで判断しない他人への優しさが大切だろう。

 

本当に相手の気持ちを楽にしてやりたいと願うなら、悩みを解決できそうな「材料」を提供し、どう「料理」するのかを教えてあげなければいけない。

がんばれという言葉はだれでも言えるのだから。

 

自分ができるから誰でもできる…

この発想が進化を止める。

 

努力は人により捉え方が違う。

 

ひたすら上司の指示に従い、業績を伸ばしていくという方針が会社があるとしよう。指示に従うことは、努力している、頑張っているといえそうだ。

なぜなら、営利会社の目的は売上を伸ばす事だから。

しかし、当人が上司の指示に従いたくない、個人の能力で売り上げを伸ばしたいと考えている社員にとっては努力ではなく苦痛の何ものでもない。

 

退職を考えるだろう。

 

家庭や恋人間でも相手の都合に合わす為

食べたくない食事を摂ったり…

興味のない趣味に無理やり合わせたり…

親の偏見でやりたい仕事ができなかったり…

自分を長時間殺し続ける事は努力なのか…

 

単なる我慢でしかない。

 

何かに圧迫され「義務感」を持ちながら行うのは努力ではない。

 

我慢、努力、継続、使命…

 

混同しているのではないか。

 

努力という言葉は頻繁に使われているが、何が努力何だろう。

荒れたこの時代、きれいごとでは生活できない。

 

あることを達成するために何かをする。

その中には自分を殺すこともある。

 

しかし

その行為の先に見える光を追い続ける事こそ『努力』と言えるのではないだろうか。

その行為が進行している時、確実に光に近づいているのなら自然と笑顔が出るはず。

 

例えば

野球界の偉人は、他人から見たらとんでもなく大変な練習をしているはず。

しかし、本人は楽しむことに徹している。

体の不調や怪我で悩む事もあると思うが、練習を続ける。

それが自分との戦いであり『努力』である。

なぜなら、克服した後は楽しい野球人生が待っていると信じているからだ。

 

そして、一番重要なこと。

努力という概念は人それぞれの経験によって違う。

 

例えば

パソコンで何でもこなす人は凄いと思う。

何年の勉強した結果、技術が身についている。

僕はできないから、相当な努力をしてきたんだなと感心する。

 

しかし、パソコンが得意なその人から僕を見れば、どんな悩みにも対応できるトーク力は真似できないと褒めてくれる。

僕は話すのが好きだから何とも思わない。

 

風水や精神の知識も自然に身についた。

パソコンの知識豊富な人も、自然に身に付けたという。

 

理想の自分のスタイルを作り上げる人は『努力した』とはあまり思わないようだ。

 

僕はパソコンん技術に関する書物を長時間読むのは苦痛だ。

難解と言われる風水書は何時間でも読める。

 

このように、個人の経験で意味が変わるので、めったやたらに「努力しよう」「頑張れ」と使ってはいけない。

 

相手にエールを送ったつもりが、逆に嫌われたという経験をした人は多いはず。

 

だから、僕は努力や頑張るという言葉をあまり使わずに

「有意義な毎日を」

「笑顔で過ごせる毎日を」

「さらなる飛躍を…」

という文字やエールを送ることが多い。

 

「辛いことをやっている自分の存在価値」

「能力不足を隠す」

最近は、同意を求めたり他人に認めてもらうために努力という言葉を使っているように感じる。

 

努力とは、日々笑顔で過ごしている人の「現在、過去の見えない部分」を指すのではないか。

努力している人は周囲にあまり見せない。

この先の明確な結果が読めない辛い毎日を送ることは努力ではない。

 

切羽詰まった時ほど、八つ当たりをして人間関係を悪化させる。

 

自分が楽しければ他人に優しくなれる。

良かれと思って、他人に何かをした時…

「あなたの為にやったのに」

こんな言葉をよく耳にするが、全くの検討違い。

自己満足の押し付けになる。

 

自分が楽しい毎日を送り、心に余裕があれば

「ごめん、〇〇の気持ちがわからなかった。」

となるだろう。

 

ということは

個々の性格は抜きにして、周囲を幸せな環境に導くのなら自分が安定しないといけない。

 

先ず、自分が幸せになる。

各々がこの意識を持ち、仲間や家庭で何かに取り組めば必ず好結果が出る。

 

しかし、わがままを通せば周囲との摩擦が生じる。

それこそ、家族や知人の財産を当てにする行動は論外である。

 

自分の幸せの裏側には、他人の笑顔が隠れている。

他人の笑顔を増やす事が自分の幸せに繋がると考えると「鶏が先か」「卵が先か」の世界になる。

 

笑顔を忘れず、他人と接する。

皆がやれば済むことだ。

 

他人や仲間の気持ちを考えず、目先の『欲』を満たしていくことに意識が傾くと、金銭や人間関係で必ずトラブルが発生する。

最後は信用を失い、悲惨な結末を迎える。

 

色々な解釈があるが、努力とは自分が楽しみ続けることではないだろうか。

 

自分が楽しむためには、周囲の笑顔が必要だと認識して行動することが真の努力と言えるのではないだろうか。

 

鑑定士

他人を困惑させる発言はしない。

しかし、相談者に対して喜ばしいアドバイスをしたとしても、その会話の中に必ず『クギ』を刺す。

 

どんな状況でも「〇〇ができれば」というアドバイスは行う。

そのクギを忘れたら、幸運期であっても下降していくことを忘れてはならない。

 

努力…

『両刃の剣』のような、使いにくい言葉であることは間違いない。

師匠の言葉

・優越感と劣等感

・感謝…ただただ感謝

・将来のビジョン

・恩を忘れるな

 

 

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